リロノウネリ

心理学徒によるサブカルチャーから哲学まで全てにおいて読み違える試み

5000兆円或いは、おちんちんランド開園

Twitterで見かける5000兆円ネタ

「5000兆円欲しい!」や「おちんちんランド開園」というネタが、Twitter上で流行りに流行っている。流行ってからもう3ヶ月は経っているネタだが、未だにバズツイートの返信欄などで見かけることがある*1。今回はこれらがなぜ流行ったのか、分析してみたい。

これらのネタはなぜバズった(面白い)のだろう。賢明な人ならば「いや、そんなのつまらない」と言うかもしれない。しかし、そういう人こそ、このネタの本質を見誤っているのではないだろうか。

このネタの本質は、文字面の面白さにあるのではない。むしろワードとしては凡庸な部類に入るだろう。「5000兆円欲しい?だから何?」とか「おちんちんランド?お前バカなの?」というのが普通だろう。しかし元ネタをみてみると、文字面以上の魅力があるのも確かだ。画像を見ながらその魅力について考えていこう*2

5000兆円欲しい!或いはおちんちんランド開園

これが「5000兆円欲しい!」の元ネタ画像である。f:id:zizekian:20170803152129p:plain

次におちんちんランドの一連のネタ。まずは開園。

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そして、すぐに閉園。

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広がる、めちゃシコパラダイス。

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ざっと見回しても、これらのネタの面白さは、文字面というよりもフォントやエフェクトにあるということがわかるだろう。

無意識に形成された「フォントあるある」

これらのネタの特徴は、パチスロやバラエティ番組で使われるフォントや特殊効果が使用されていることにある。言ってしまえば凡庸で軽薄なフォントだ。パチスロのチラシやバラエティ番組でこの特殊効果が使われるとなると、「グランドオープン!」とか、番組のテロップ的なものになる。例えばこんな感じか。

錦糸町のパチンコ屋。グランドオープンで画像検索するとすぐに出てくる。

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次は一時代を築いたバラエティ「いきなり!黄金伝説。」から。

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これらのフォントは、意識してみてみると、私たちの目を引くようにギラギラと必死にアピールしていることがわかる。しかし普段は、このようなエフェクトが街やテレビに溢れすぎていて、逆に全く意識されていない。パチスロのチラシのフォントは無意識の中で私たちの「あるある」になっていたのだ。

(私の記憶の中での)レイザーラモンRG曰く、「『あるある』はありすぎることでは面白くない。確かにあるのだが、今まで意識されてこなかったことを掘り起こすことで面白くなる。」*3

その意味で「5000兆円欲しい!」や「おちんちんランド開園」というネタはひとつの「あるある」である。文字面で勝負しているのではなく、フォントで勝負している。

しかしまた、このフォントとこの文字面が化学反応を起こしているということも事実だろう。でなければ、ここまでの拡散はあり得なかっただろう。最後に、これらのネタの「あるある」ではない側面について考えることにしよう。

文字列とエフェクトの化学反応

 このネタの構造を説明するならば、次のようなものになるだろう。「凡庸で軽薄な文字面を凡庸で軽薄なフォント(あるある)で表現する、という『ないない』」。わかりにくいだろうか。ひとつひとつ順を追ってみていこう。

「5000兆円欲しい!」というのは無邪気でバカなワードである。しかしこのワード自体に大きなインパクトはない。しかし、この無邪気でバカなワードを、パチスロあるあるのフォントによって表現するということは今までされてこなかった。今までは一応、意味のある内容に対してこのフォントは使われていたのだ。

つまりこのネタは「あるある」でありながら「ないない」でもあるのである。「ないない」とは「あるある」の逆で、「そんなものは存在しない」という面白さである。文字面とフォントが交わることで「ないない」というインパクトが生まれている*4

凡庸で軽薄な文字面を凡庸で軽薄なフォントで表現するというのは表面的な構造はモノフォニー的になっている(つまりわかりやすい、つまらない)。しかし一方で、このネタには文脈依存的に構造をみてみると「あるある」と「ないない」が同居している。これがポリフォニー的笑いを生み出す。このねじれが「面白いのだが、なぜ面白いのかがわからない」と感じさせるのだ。

これらを「バカなネタが流行っている」と一蹴することは容易い。しかし凡庸で軽薄な文字面と凡庸で軽薄なフォントの組み合わせが生み出す「あるある」と「ないない」の同居という構造は、高度にお笑い的である*5。その深みの一歩手前で思考停止して、つまらないと考えるのは早計ではないだろうか。

  

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*1:この手の元ネタを何度も引用して使用しているのを見かけるたび、私はつまらないと感じている。元ネタの構造的な面白さと、けもフレ民が「すっごーい!」というように、それを無限に引用・複製していくことのつまらなさを一緒にしてはいけない。

*2:ネタを分析することほど無粋なことはない。しかし、「私が面白いと感じること」と「それがなぜ面白いのか」は別な問題であるために、無粋を承知で分析を試みた。

*3:私の記憶では「オードリーのオールナイトニッポン」にRGがゲストとして登場した回で、このようなことが言われていたと記憶している。若林の発言であったようにも思われる。

*4:「ないない」はお笑いの手法としては禁じ手のようにも思われる。原理上、「ないない」の数は無限であり、これを面白いというと終わりのないメタ合戦になる。松本人志が『さや侍』で大ゴケしたのはこのメタ構造の罠にかかったからである(一番つまらないものが一番面白いというように)。だから「おちんちんランド」というフレーズは伊集院やアルコ&ピースのラジオでは登場しそうであるが、テレビには(下ネタだからということではなく)登場しそうにないのである。

*5:私の知り合いは「めちゃシコパラダイス」の画像を見て、音まで聞こえたという。つまり彼の中でこのフォントはそれほどまでに絶妙な「あるある」だったわけだ。そしてその表現技法を用いて「めちゃシコパラダイス」というフレーズが表されるという「ないない」に思わず笑ったのだ。