リロノウネリ

心理学徒によるサブカルチャーから哲学まで全てにおいて読み違える試み

内田樹

可能世界の倫理を考える-「リゼロ」と「時かけ」から

可能世界とは何か 最近、可能世界の自分について考えることが増えた。これは私の年齢によるものなのかもしれない。就職がリアルになることで、未来の自分の想像ができるようになる。それを逆に言えば、ありえたかもしれない自分との別れでもある。 現在の可…

連続再生の精神分析

連続再生の時代 海外ドラマやテレビドラマ、クールもののアニメなど、夜を徹して見続けるという趣味を持つ人は今や決して少なくない。海外の人気ドラマではいくつもシーズンが続くことが多いし、日本のドラマやアニメでも、1クールには9~13話くらいはあ…

『十二人の怒れる男』映画批評「スキーマの見せる「客観的」世界について」

映画『十二人の怒れる男』批評 今回は不朽の名作『十二人の怒れる男』の批評を。私が同じ本ばかり引用に使うのは、それだけしか読んでいないわけではなく(確かにそれほど読んでいるわけではないが)、その本への理解をより深めるためなのだと断っておく。 …

『カッコーの巣の上で』映画批評「わかるかどうかは重要であるのか」

最近の松本人志のツイートから 今回は『カッコーの巣の上で』の批評である。この批評は最近の松本人志のツイートとも関連していると言える。私は彼の笑いが好きだが、ワイドナショーなどをみていると彼の発言の全てに同意できるわけではない。しかし以下のツ…

『紙の本は、滅びない』書評「紙の本と内田樹」

『紙の本は、滅びない』書評 『紙の本は、滅びない』というタイトルは私を惹きつけた。そのタイトルの中に、文字になっていなくとも電子書籍の脅威が見える。また、紙の本の絶滅可能性について人一倍考えているからこそ出てくるタイトルであり、どちらの側に…

『夜と霧』書評「極限状態に生きること―能動的主体の挫折―」

『夜と霧』書評 心理学徒としては『夜と霧』は読まねばなるまい。そして書かねばなるまい。というわけで今回は書評のようなものをお送りする。 『夜と霧』を読んで最初に感じるのは、フランクルという人間の温かみだ。巻末の写真や図には、見るだけで強制収…