リロノウネリ

心理学徒によるサブカルチャーから哲学まで全てにおいて読み違える試み

コーラみたいな女の子論–神田恵介やくしまるえつこ論から

もっと知りたいやくしまるえつこ

私は相対性理論を含め、やくしまるえつこの歌が好きだ。ということで最近ユリイカやくしまるえつこ特集を買った。といっても2011年の特集であり、古本をアマゾンで買ったのだが。今更ではあるが彼女のことをもっと知りたくなったのである。

しかし「もっと知りたい」という気持ちに応えてくれている特集ではなかった。そもそもやくしまるは自らの情報を完璧に統御している。だからこそ私は知りたくなるのだが、読んだ後も彼女の「謎」性はそのまま残ることになった。

神田恵介やくしまるえつこ

それはそうとしてだ。神田恵介という人物がやくしまるえつこ特集に寄稿していた。彼は服飾レーベル「keisuke kanda」の主宰であるらしい。私はよく知らない。しかし彼のやくしまる論「コーラと「あの娘」とやくしまるえつこに捧げるラブレター」は私の気持ちをそのまま表していた。

あなたの歌は、まるでコーラのよう。甘くてさわやかで。身体にはあまり良くないってわかってても、ついつい口にしてしまう。そんな中毒性を持った歌だと思う。

僕は、身体に良い無添加100%の野菜ジュースよりも、コーラみたいな有害なものに魅かれてしまう。

コーラみたいな女の子というのがいる。彼女たちは多少のメンヘラ的妖しさを備えている。彼女たちの日常は私には想像すらできない。そんな感じだ。惹きこまれても傷を負うだけであることはわかっている。でも近づかずにはいられない。そんな感じ。

コーラみたいな女の子の魅惑

わかる方もいるだろうと思うが、女の子のメンヘラ的な部分を見たとき私の中では警告音が鳴り響く。「ウィーン!ウィーン!Caution!Caution!ウィーン!」という具合である。そうなると私の冷静さが飛躍的に上がり、可愛いとか、守りたいとかいう気持ちよりも巻き込まれないようにと、防衛的態度を取ることになる。要は引いてしまっている。

しかしコーラ系女子はそうはいかない。警告音は鳴り響いている。その先は泥沼であることがわかりきっている。巻き込まれて私がボロボロになったとき、実は彼女のほうは飄々と非日常的な日常を送っている、なんてことも想像がつく。しかし惹かれてしまう。

コーラみたいな女の子を私はこれからも愛してしまうだろう。だって可愛いし、危ういし、謎を秘めているし。私はボロボロになるだろう。でもボロボロになるのは所詮は私である。その子ではない。そうと決まればコーラの中で溺れて骨の髄まで溶かされようじゃないか。

巷のきゃりーぱみゅぱみゅ論への反論

ここから私は大いに飛躍して、きゃりーぱみゅぱみゅの話をしよう。といってもやくしまるとは違い、きゃりーぱみゅぱみゅのことが私は別に好きではない。しかし巷に溢れる「きゃりーぱみゅぱみゅもいつか篠原ともえのように普通になる」論には同意できないのだ。

別にきゃりーぱみゅぱみゅもいつか篠原ともえのようにならない!きゃりーは特別なんだ!ということではない。そうではなくて、篠原ともえのようになったとして、だから何なのだ、ということである。

きゃりーぱみゅぱみゅも戦略的に自己を打ち出すことで大いに謎を秘めた存在として、私たちの前に現れている。その「謎」性を支えているのはほかならぬ私たちだ。私たちがそれを謎として解読に取り組むからこそ謎は謎として存在できるのである。

篠原ともえはその「謎」性を時の流れの中で失ってしまった。それは仕方がないことだ。きゃりーもいつかはそうなるかもしれない。しかし、だからといって彼女たちの特異なキャラクターが意味のないものになるわけではない。謎が意味を持つのはいつでも「今」においてだからだ。今、謎として取り組まれているというその事実、それだけで十分ではないか。

コーラ女子は「今」を生きる

きゃりーぱみゅぱみゅの批判者は彼女の「謎」性を時間を用いて解消しようとしている。彼女を仮想的にオバサンにすることで生活感を与え、「謎」性を剥奪しようとしている。しかしそれは意味がないことだ。だって未来を先取りして謎を放棄しているだけだから。「彼女はいつかオバサンになるだろうから、興味がない」といっても、じゃあなにに興味を持つんだ、みんないつかは骨になるぞって話である。

きゃりーの「謎」性はいつか崩れ去り普通になるだろう。しかし「私は謎を放棄します!」という宣言は「今」は意味を持たないだろう。そして未来にその宣言が正しかったとしても意味がないだろう。そのときには新たな「謎」に皆夢中であるだろうからだ。コーラみたいな女の子は「今」を生きるのだ。そこ以外に意味も謎もないのである*1

 

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天声ジングル

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*1:篠原ともえきゃりーぱみゅぱみゅを私はコーラ女子として認定していない。しかしこの「きゃりー論」はイメージとしては「やくしまる論」でもある。