リロノウネリ

心理学徒によるサブカルチャーから哲学まで全てにおいて読み違える試み

『SAO』論-東浩紀『AIR』論から

『SAO』論-東浩紀AIR』論から

今回はアニメ『ソードアートオンライン』について考えてみたい。私が考えたいのは第1期のラストについてだ。時期的にも、読者数的にもネタバレに配慮することはないため、ご容赦願いたい。

さて今回『SAO』論を立てるにあたって、重要なのは東浩紀の『AIR』論だ。この論の正式なタイトルは「萌えの手前、不能性に止まること–『AIR』について」である。

この論の初出は『美少女ゲームの臨界点』,2004,波状言論だ。『ゲーム的リアリズム』の付録であるため今も簡単にアクセスすることができる。 ここで語られるのは美少女ゲームをプレイする者に付き纏う解離についてである。

美少女ゲームをプレイする者の解離

プレイヤーは美少女ゲームを一回きりの物語としてプレイする。女の子の一挙手一投足に繊細に反応し、疑似恋愛を謳歌する。ここでの彼らの振る舞いは反家父長制的である。

一方、美少女ゲームの全ストーリーをコンプリートするには効率よく物語を進めていかなければならない。ここでは彼らはセーブデータを管理し、一人ひとりの女の子の全てを把持しようと行動する。その時の女の子への目線は躊躇うことなく性的なものである。

さらに美少女ゲームの世界では通常のポルノの比ではない性的願望が露わになる。その意味でオタクは家父長制的を超えた、超家父長制的に振る舞っていると言える。

反家父長制的な自己と超家父長制的な自己、これはゲーム内キャラクターとゲーム外プレイヤーとも言い換えられるが、この解離を美少女ゲームは強化する。

解離は不安定な状態である。私たちに葛藤をもたらすからだ。しかしこれをオタクたちは「ダメ」の論理を用いて、解離の境界をあいまいにする。「俺たちはダメだから、父にはなれないが、欲望は満たしたい。」

須郷=オベイロン=私たちの欲望

これでやっとSAO論の入り口まできた。SAOの一期のラストは、アスナと付き合っているキリトと、それを強引に奪い取り結婚してしまおうという須郷=オベイロンの戦いで締めくくられる。戦いの直前オベイロンはキリトの目の前でアスナに対し性的に接近する。アスナの服は破れ胸が露わになる。

ここで、『AIR』論における解離をそのまま、ソードアートオンライン第1期のラストに持ち込んでみよう。するとキリトは反家父長制的でオベイロンが超家父長制的に見えてくる。

私たち観客は当然主人公キリトに感情移入する(ように作られている)。しかし、私たちがアスナをキャラクターとして、萌えの対象として見ている限り、オベイロンと無関係ではいられない。オベイロンの欲望は私たちの欲望と結びついている。

抑圧としてのキリトへの感情移入

キリト(=私たち)の怒りは、オベイロン(=もう一方の私たち)に向いているのだ。キリトがオベイロンを打ち倒す姿は、反家父長制的自己による超家父長制的自己の抑圧そのものである 。

オベイロンの「エクスキャリバーをジェネレート!」はゲームをメタ的にクリアするようなズルさがある。しかしそれはアニメの世界観に感情移入しつつも、実際には涼しい部屋でキャラに萌えている私たちと同種のズルさである。

キリトがオベイロンに勝利することの気持ちよさは物語だけでなく、その構造に大きく由来している。私たちはオベイロン的な、つまり超家父長制的自己を抑圧する。それは反家父長制的自己と超家父長制的自己の解離に見かけ上の解決をもたらす。この快楽が物語に付与されている。

リスポーンするオベイロンに立ち向かう

しかし抑圧によって解離は解決しない。超家父長制的自己の元を辿ればそれは明らかである。

もともと家父長制的に(オヤジ的に)振る舞えない人間が反家父長制的に(オタクや文学青年的に)振る舞うようになる。ここでは家父長制的自己が抑圧されている。この反動として超家父長制的自己が現れる。

それは東浩紀的に言えば「反家父長制的な想像力に隠れて超家父長制的な欲望を密輸入する構造」を持っている。

抑圧されたものはいつかは蘇る。自己の家父長制的な部分が反家父長制的自己に抑圧される。超家父長制的自己は家父長制的な部分が姿を変えて蘇ったものなのだ。

私たちがどれだけキリト的なものに感情移入しようと、それが抑圧である限り私たちのなかにオベイロン的なものはリスポーンする。

このゲームの真のクリアは私たちが「成熟」することしかない。解離をソフトランディングさせるには、反家父長制的自己と超家父長制的自己をあやふやにせず、ふたつの着地点を探らなければならないのだ。

 

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