リロノウネリ

心理学徒によるサブカルチャーから哲学まで全てにおいて読み違える試み

SAO総論-第一章「科学技術による父の復権」

三度目の正直!SAO論を打ち立てろ!

リロノウネリではこれまでに二度、アニメ「ソードアートオンライン(以下SAO)」について語ってきた。一度目はアルヴヘイム・オンライン(以下ALO)における須郷=オベイロンとの戦いについて。二度目はガンゲイル・オンライン(以下GGO)における男の娘化するキリト(桐ヶ谷和人)について。私はその二つの記事を関連付けて考えていなかった。文脈が全く異なるように思われたからである。

zizekian.hatenablog.com 

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だが最近、その二つの記事に、そしてSAOに流れる通奏低音に気がついた。『教養としての10年代アニメ』を読むなかで、語られていること、また語られていないことを考えているうちに、考えていたことが一つにまとまっていったのだ。この本では「まどマギ」や「とある科学の超電磁砲」などテン年代の重要なアニメを取り上げているが、その中にはSAOも入っているのだ。

(117)教養としての10年代アニメ (ポプラ新書)

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 反復される「父」というテーマ

SAOは現代のSFとして、近い未来に到来するARやVR技術としての側面から多く語られてきた。確かにSAOの主題は「進歩する技術」だろう。しかしこのテーマの裏には常にべったりと「父」という、もう一つのテーマが張り付いている*1。ここではSAO総論として、これまでに語られてこなかった、SAOの裏のテーマである「父」ついて考えていこうと思う。

物語を包む偉大なる父としての茅場晶彦の存在。サチを失うこと、またヒースクリフに敗北するというキリトの去勢エピソード。ユイによるキリトの父性の復権(これはアスナ処女懐胎でもある)。須郷伸之=オベイロンとの戦い。そしてGGOにおいて男の娘化するキリト。SAOには父というテーマが変奏されて流れ続けている。

SAO総論というからにはブログの一回分の文章量では語りつくせない。そのためリロノウネリでは、これから数回に分けてSAO総論をお送りする。第一回である今回は茅場晶彦を取り扱う。

物語を包む偉大なる父=茅場晶彦

父という観点でSAOを語るならば、やはりまず茅場晶彦から始めねばならないだろう。

量子物理学者、天才的ゲームデザイナーとして知られ、桐ヶ谷和人にとっては憧れの人物だった。(茅場晶彦 (かやばあきひこ)とは【ピクシブ百科事典】

夢見た空に舞う鋼鉄の城「アインクラッド」とナーヴギア完成後、1万人のプレイヤーを道連れにSAOのデスゲーム化を宣言。
ゲームマスターとしてゲームを監視する一方、一般プレイヤーを装い団長としてSAO最強のギルド《血盟騎士団》を育て上げ、進行役として攻略を先導しSAOプレイヤー達を導いてきた。(茅場晶彦 (かやばあきひこ)とは【ピクシブ百科事典】

彼はSAOという物語を作り上げた。このデスゲームには1万人が巻き込まれ、キリト達プレイヤーは決断主義的に振舞うこと余儀なくされている。キリト達プレイヤーは、サバイヴするために、ひきこもることを許されない。その意味で、SAOは宇野常寛のいう『ゼロ想』世代の作品に見える。しかしこれはゼロ年代の作品ではなく、言わばテン年代の作品だと私は考える。それは単純にこのアニメが2012年に作られたからではない。どういうことか。

90年代では、エヴァンゲリオンにおいて父の権能は、シンジの逃走(ひきこもり化)により失効していた。ゼロ年代には、生き残るためにはひきこもれないというサバイヴの物語が多くなってくる。「バトル・ロワイヤル」や「デスノート」がそれら決断主義の代表である。しかしここでも、父の権能は復活しない。彼らは父に戦わされているのでも、父になるために戦っているのでもない。理由もなく、生き抜くためだけに戦っていた。

しかしテン年代の作品であるSAOでは、ナーヴギアという「技術」によって、明らかに強い父が復活している。私が『テン年代の想像力』を書くならば、テーマは「科学技術による父の復権」にするだろう*2

 キリトの父としての去勢

茅場はSAOという物語の行方をみるために、血盟騎士団の団長キースクリフとして自らプレイヤーになっていた*3。彼は「キリトが副団長アスナを引き抜こうとしている」ということで、キリトに決闘を申し込む。キリトが負けたら血盟騎士団に入れというのだ。

結果としては、キリトはキースクリフに敗北する。*4これはキリトの第二の去勢である(第一の去勢はサチの死。次回以降に取り扱う)。キリトは、この敗北によって血盟騎士団に仲間入りすることになる。これはキリトがゲームクリアの欲望を持つきっかけであり、父としてのキリトが立ち上がる契機でもある。

ラカンは、人間が言語、欲望を持つ過程に去勢があるのだと考えた。それに従うと、キリトがゲームをクリアする欲望を抱くのも、VRやARを現実世界で研究しようとするのも茅場の影響なのだ。彼はキリトの生物学的な父ではないが、社会的な父といえる。SAO以前では茅場晶彦として、SAO内ではキースクリフとしてキリトの父なのである。

物語と一体化する茅場晶彦

SAOクリアを賭けたキリトとの激闘の末、プレイヤーとしては勝利を収めるもキリトとアスナの絆が巻き起こしたゲームシステムを超越した奇跡により相打ちに近い形で敗れた。
茅場晶彦 (かやばあきひこ)とは【ピクシブ百科事典】

その際肉体的には死亡したが、脳のスキャニングを実行、その精神はネットの海を漂い生も死も超越した存在となりALOでのキリトの窮地を救い、同時に「世界の種子」VRワールド制作プログラム「ザ・シード」を託しネットの海に消えていった。(茅場晶彦 (かやばあきひこ)とは【ピクシブ百科事典】

彼はキリトに敗れ死ぬのだが、どちらかというと攻殻草薙素子やオビワンのフォースとの一体化といった感じであり、死後もキリトに影響を与え続ける。実際に彼は第一期のラスト、ALOのオベイロンとの戦いでキリトを助ける*5

さらに「ザ・シード」なる全てのVRゲームの基礎となるプログラムを残す。シード=種子という名前からも分かるとおり、これは精子だと言える。つまりアインクラッド以後の世界、ALOやGGOも言わば茅場の子どもなのだ。SAOという物語がVRゲーム上で繰り広げられている限り、それは茅場の世界内の物語なのだ。

メディキュボイドの設計

茅場は、デスゲームの主催者でありながら完全な悪役という描かれ方はしない。アインクラッドの崩壊を見つめる姿も美しく描かれており、観ている私たちもそれほど悪い印象を持たなかったはずだ。

茅場のイメージをさらに向上させるのが、アニメ第2期のラストである。メディキュボイドの設計が彼によるものだということが判明するのだ。メディキュボイドとは以下のようなものだ。

VR技術を医療用に転用した世界初の医療用フルダイブ機器。ベッドと一体化した箱型となっている。開発者は神代凛子だが、基礎設計は茅場晶彦が行なっている。
ゲーム機であるアミュスフィアと異なり、出力はナーヴギア以上に強化され、CPUはAR(拡張現実)技術にも対応可能なスペックを確保している。電磁パルス発生素子の密度はナーヴギアの数倍で、脳から脊髄までカバーしており、アミュスフィアやナーヴギアでは難しい体感覚の完璧なキャンセルも可能となっている。
ターミナルケアをはじめとして多くの分野で活用が期待されており、紺野木綿季がその試作1号機の被験者となっている。(メディキュボイド VR技術を医療用に転用した世界初の医療用フルダイブ機器。ベッド... : ソードアート・オンライン 登場人物プロフィール - NAVER まとめ

茅場は技術によって、ポストモダンの世界で消失していた大きな物語を再建した。彼は技術を用いて多くの命を奪い(破壊)、また一方では生きる喜びを取り戻させた(創造)。その動機は不明瞭であって、自然的、超越的である。SAOは技術によって父=神=大きな物語が復活する世界を描いているといえよう。

茅場晶彦は物語と一体化するような規模の父だ。だからこそ彼は様々なレイヤーから父としての権能を発揮する。彼はSAOのゲームマスターという物語の偉大なる父であり、キリトの(憧れの茅場晶彦または団長キースクリフとして)社会的な父であり、「ザ・シード」を残した、全てのVRゲーム(つまりは今後の物語の骨格=身体)の父なのである。

今回は、全編を通して多大なる影響を与え続ける父、茅場晶彦を取り上げた。次回は、父としてのキリトを中心に考えていくつもりだ。アスナと関係を深め、ユイの父になるということはどういうことなのか。SAO総論②を楽しみにしていただけると幸いだ。

*1:原作者の川原礫には「アクセルワールド」という別の作品がある。これにも「親」や「子」というワードが登場する。「父」というものは裏テーマというより川原の作家としての問題意識なのかもしれない。

*2:この技術というのが厄介だ。科学技術は頭打ちにも見えるからである。それなのに何故、技術によって父は蘇るのか。これは私たちの科学技術の発展への不安の裏返しなのではないか。異世界にスマホを持ち込んで無双するのも、ナーブギアという夢の装置がVRと言われることで近い未来の物語だと思ってしまうのも、これ以上の科学の進展が信じられなくなっているからこそ信じてしまうのではないか。シンギュラリティはひとつの疑似科学であり、変奏された終末論であるという考え方がある。技術の発達も、その極限においては物語であり、それを信じることは信仰することに近づくのだ。

*3:この時点ではキリトはキースクリフ=茅場であることを知らない。

*4:正確には、構造的に勝てないということにキリトが気がつくことで、後にゲームクリアすることに繋がったので単純な敗北とは言えない。しかしここではキリトの敗北経験自体が問題であるので、その点は捨て置く。

*5:これは正当な子がオベイロンではなく、キリトであるという茅場の意思表明とも考えられる。