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リロノウネリ

心理学徒によるサブカルチャーから哲学まで全てにおいて読み違える試み

「中央線沿線」感と「郊外」感が交じり合う荻窪

東京 東浩紀 郊外 アーキテクチャ

「中央線沿線」の魅力

中央線沿線には私たちを惹きつけるパワーがある。下北と並ぶ古着屋王国、高円寺。阿佐ヶ谷の持つ、若手芸人が住んでいる街感。西荻窪は「古きよき」がキャッチフレーズのテーマパークだ。

東浩紀 西荻窪は古本屋が多いので有名なんですが、そういう店に行くと、思想所とか文芸所とかサブカル本とかえらく豊富なんですね。新刊本屋でも普通にぼくの本が置いてありますし。(東浩紀北田暁大『東京から考える』p.33)

北田暁大 (西荻は)荻窪よりも人気があるでしょ?(東浩紀北田暁大『東京から考える』p.34 括弧内筆者による補足)

一方荻窪は・・・

一方、荻窪はどうだろう。これといった強みも見当たらず、商店街も賑わってはいない。先ほど挙げた街と違い、荻窪は土日も中央線の快速が止まる。住みやすいはずなのだ。それなのに、何故こうなったのか。

郊外はどこにでも入り込んでくる。吉祥寺や中野といった中央線沿線の大きな街に先に郊外的なものは入り込んだはずだ。吉祥寺や中野はそれでも大きな街だからイメージを壊されることがない。その後、土日も快速が止まるという利便性から荻窪にも侵攻してくる。そうして荻窪は駅前にドンキがある街へ変わっていく。小さな街のイメージは郊外的なイメージにすぐに感染する。基本的に郊外的なものは大きく、そしてギラギラしている。

はたして荻窪は他の中央線沿線地域に劣る街なのか。『東京から考える』から先ほどの続きを引用してみる。ここからは郊外→他の中央線沿線地域→荻窪という大きな迂回をしながら考えることにしよう。

郊外という名のヒリヒリとした現実

東浩紀 しかし、本屋に行って自分の読みたい本に出会うというのは、嘘みたいな気がするんですよ。そんな世界はぼくのために作られた虚構世界で、本当の現実は、ベストセラーしか置いていないTSUTAYAにある。そういう気がしてしまう。(東浩紀北田暁大『東京から考える』p.33)

本当の現実、東はそれを郊外的なものに見出す。というよりも利便性からいってそうなっていくのだ。大多数が読むことのない本は置かれない。イオンやドンキ、コンビニ的なものが世界を覆う。ファミレスに家族に行き、シネコンでハリウッド映画を観る。これが郊外だ。

私も長い間、辺境の地域に住んでいたが、この間帰省してみるとそこが郊外であることを強烈に実感させられた。よく実書店とアマゾンを比較して、実書店には本との出会いがある、という言説を見かける。私もそれに概ね同意するが、地元のTSUTAYAを目の前にしてはそんなことを口にはできない。売り上げランキングには映画化やドラマ化された本がずらりと並び、人文書に関してはランキング以前に棚すらもない。

それでもそのTSUTAYAは地元書店を廃業寸前に追い込んでいる。端的にいって、辺境の地域にはベストセラー以外は必要とされていない。もちろん、ブックオフにいったってマトモな本にありつけるはずもない。マトモな本を売りにくる読者がそこには存在しないからだ。

テーマパーク的地域の崩壊

そのようなマイルドヤンキー的世界観を地獄とみるか、それでよしとするか。意見は分かれることだろう。しかし着実に東京の郊外化は進む。「中央線沿線」感はテーマパーク的に保存していくのがいつか困難になる。テーマパークの崩壊は下北沢のようにアーキテクチャのレベルで起きる。郊外化は突然、しかも大規模な形でやってくるのだ。

大規模な地域の再開発によって、街のイメージが破壊されるとき思い知ることになる。開発への反対への動機がノスタルジックな幻想に基づいていたことに。いつだって高円寺的なものはマイノリティであるはずなのだ。便利なほう便利なほうへと移行するなかで、今あるイメージは容易に瓦解する。大多数の人間は郊外的なものを求めているのだ。なぜなら郊外はいつでも大多数の人間に合わせて設計されているからである。

荻窪、再び

それでは荻窪に戻ろう。荻窪は郊外が入り込んできたとはいえ、まだまだ「中央線沿線」感を保っている。駅前のあゆみBooks文禄堂のような街の本屋もサラリーマンたちで盛況だ。本屋Titleのように小さいながらも、密度の濃い本棚を提供する本屋もある。

そうすると必然的に荻窪ブックオフに置かれる本のラインナップも魅力的になってくる。私は密かに、地域の指標としてこの「ブックオフ本棚指数」を採用している。この指数は強い偏見を含んでいる(人文書だけが本ではない!)が、かなりの正確性を誇るといっていい。

書店だけでなく、昔ながらの居酒屋や食堂、おしゃれなカフェなども充実している。これといった目玉のない街だが、そこには様々な「中央線沿線」感が残っている。

しかし着実に郊外化もしている。ファミレスや24時間オープンのどでかいSEIYU。先ほど挙げたドン・キホーテ。大手100円ショップのキャンドゥなど。先ほどから悪の権化のように書いてきたこれらは、実際には荻窪を住みよい街にしている。時間を気にせず、生活に必要なものが全て安価で揃うようになっている。

実は今、荻窪はかなり住みやすい街になっているのではないか。

郊外先進地域としての荻窪

荻窪は「中央線沿線」と「郊外」が混合、共存するハイブリッドな街だと言える。そしてこれこそがもっとも理想的な街なのではないかと私は考える。本屋Titleを覗いて魅力的な本を買ったあと、家系ラーメンで舌鼓をうつなんてことができる街。しかも新宿や池袋などの巨大な都市とは違いのんびりと、である。

近い将来、荻窪の郊外性は増していき、ハイブリッドな街としての荻窪はなくなってしまうのかもしれない。そのなる前に、郊外になりきることもなく、郊外的なものの徹底的な排除でもなく、共存する方法を考え出さなければならない。

お母さんの日々の生活も、一人暮らしの大学生もそれぞれが適度に住みよい街。そんな街を構想しなければ、いつか再開発でドカンと地域の文化は崩されるかもしれないのだ。

「中央線沿線」感を残していく鍵は共存にしかない。荻窪には高円寺や西荻窪の未来が掛かっている。この点で荻窪は中央線沿線の先進的な地域と言えるのかもしれない。日本が高齢先進国を目指しているように、荻窪は郊外先進地域を目指すべきだ。

 

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

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本屋、はじめました―新刊書店Title開業の記録

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望星 2017年 05 月号 [雑誌]

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