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リロノウネリ

心理学徒によるサブカルチャーから哲学まで全てにおいて読み違える試み

日本とフランスとファッションとテクノ

ファッションショーの国際比較

最近ファッションショーの国際比較の授業を受けた。私はファッションに特別な関心を持っているわけではない。しかし授業が面白かったこともあり、ぐるぐると考えが頭を駆け巡ったのだった。

フランスでは日常、街で見かけないような奇抜な高級な服を、舞台装置までその日のために作られた会場で披露する。観に来た者たちは客席のように高い位置から遠くを見下ろすようにショーを見ている。

アメリカではハイブランドでも、そのまま街に着ていけるようなデザインのものを、バイヤーたちが横から間近で見る。大掛かりな舞台装置などもなくシンプルで、服という商品をよく見るためのショーという感じがする。それは商業的であり、ビジネスであることを感じさせるものだった。

日本では、ファッションショーを見上げるスタイルだ。見ている側も若い女の子が中心で、スマホなどを通じてその場で商品を買ったりする。それだけに価格は若者にも手の届く範囲になっており、デザインもハイブランドの流行を模倣したものになる。

 トレインスポッティングとTGC2016

このような比較であった。確かに面白いがこう並べると、日本のファッションショーは即物的なものだと言いたくなってしまう。現にこの授業の講師であるファッション誌の元編集長は日本のファッションショーやモデルについて手厳しい発言をしていた。

しかし、ここで「東京ガールズコレクション2016 AUTUMN/WINTER」の始まりの音楽がアンダーワールドの「Born Slippy」であったことは示唆的だと私は考える。この曲は、映画「トレインスポッティング」に使われた曲である。

トレインスポッティング」は1996年公開のイギリス映画だ。映画内で描かれるのは不況にあるスコットランドの若者たちだ。貧困と若者たちの溢れるエネルギーが描き出され、日本でも若者を中心に支持を集めていた。ではなぜ、東京ガールズコレクションにこの映画の曲が使われたのか。それを考えてみたい。

テクノによって 消滅する「本物―偽物」関係

アンダーワールドというアーティストはテクノやハウスに分類される。テクノには、サンプリングという技法がある。日常生活の音や、街の喧騒、或いは他の音楽までも新たな曲の素材(サンプル)にしてしまうのだ。その起源にはフランスの音楽家の「ドアの音」から作った音楽がある。フランスにはテクノの起源がある。

フランスのテクノアーティストで最も有名なのはダフトパンクだろう。彼らの中でも最も有名な曲「One More Time」はMVで松本零士のアニメを使用したことでも知られているが、この曲自体がサンプリングでできている。「One More Time」はEddie Johnsの「More Spell on You」でできている。では「One More Time」は偽物なのだろうか。私たちにはそう思えないだろう。

つまりこれはひとつのシミュラークルなのであり、「More Spell on You」と「One More Time」の「本物―偽物」関係は曖昧になり、消え去る。私はこのテクノ特有の「本物―偽物」関係の消滅が日仏のファッションショーとも繋がっていると考えている。

 TGCの意思

それにしても2016年のショーに1996年の曲を使うのは、いかがなものだろう。「ファッション」という視点に立つと20年も前の曲でモデルが登場するということ自体が滑稽に思える。しかしこの選曲にはひとつの意志が感じられる。

それは(観客も含む)若者たちこそが、ファッションにおける「本物」になっていくのだという意思だ。「トレインスポッティング」のテーマはスコットランドの若者がロンドンへ出て、幸せをつかもうとする、まさに「本物」になろうとする物語であったのだ。

ファッション誌の元編集長はこのように言う。「私たちはいち早く飽きなければならない。デザイナーと同じスピードで服に飽きていかなければ、次の流行は読めない。だからパリコレには毎回行かなければならない。」彼女はファッション・ビクティムという言葉を使って自らを表する。文字通り、ファッションの犠牲者である。

一方で日本の若い女の子たちは、もしショーに立つモデルの着る服が変わらなければ、恐らく現在の服に飽きることがないだろう。フランスの大学生のファッションが、そして日本の男子学生のファッションがここ数年変わらないように、彼女たちも止まってしまうだろう。その意味で、彼女たちは「本物=ファッション・ビクティム」ではない。

しかし、思い出すべきはダフトパンクの「One More Time」である。彼女たちは「本物」ではないが「偽物」でもないのだ。アンダーワールドの「Born Slippy」は映画音楽であり、またテクノである。この選曲は20年の時代を超えて、東京ガールズコレクションにマッチするのだ。彼女たちにとって、もはや「本物」でないという事実は「本物」になろうとするエネルギーにしかならない。

 フェイクレザーの逆襲

遠くない未来、フェイクレザーはもはやフェイク(偽)のレザーではなくなり、「これはフェイクレザーという素材なのだ」という逆転現象が起きるはずである。それは、先にパリコレで起こるのかもしれない。そのとき、ファッション業界は刷新されるだろう。

フランスの本物と日本の模倣品という関係が崩れ、新たに相互作用でファッション、すなわち流行が作られていく時代になるだろう。それは紛れもなくシミュラークルの世界であり、テクノの業界で、また東浩紀の『動物化するポストモダン』で言及されているアニメやゲームの世界では既に起こっている動きなのだ。それを歓迎できるかは、ファッション業界を牽引するフランスのデザイナーに掛かっている。

しかし、保身を考えてそれを拒否するデザイナーは遅かれ早かれ業界から退場せざるを得ないだろう。最も早く既存のものに飽きなければならない者たちにとって、過去にしがみつくことは命取りになるだろうからだ。自らがファッション業界の「本物」であろうとすると、今まで「偽物」だとしてきたものを見直さなければならない。そのような逆説的な時代になってきている。

この考えは間違っているのかもしれない。いや、間違っているのだろう。しかし楽しければそれでいいのだ。私にとってはフランスもファッションもテクノも女の子も、観光客気分で語ることしかできないのだから。残念ながら。

 

T2 トレインスポッティング -オリジナル・サウンド・トラック

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動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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