リロノウネリ

心理学徒によるサブカルチャーから哲学まで全てにおいて読み違える試み

齋藤環

アニメ「デュラララ!!」を見て‐セルティの批評性

セルティという批評的なキャラクター セルティ・ストゥルルソンというキャラクターは非常に批評的だと私は考える。 彼女には首から上がない。デュラハンだからである。彼女は岸谷新羅と同居している。彼はセルティに首がないのにもかかわらず愛している。そ…

『神の悪フザケ』マンガ批評「自己否定的な自己愛の迷路―暴露と欺瞞」

壮絶な鬱マンガとしての『神の悪フザケ』 私はこの漫画を読み終えるのに、漫画一冊ではありえない期間を要した。それは時間が掛かったということではない。この漫画の情報量は多いわけではない。そうではなく、読み続けることができないのだ。めまいがしそう…

『モモ』書評「システムの無謬性と想像力の欠如」

『モモ』に描かれる世界のシステム 幸福のために限りある時間を有効に使おうとする。その振る舞いは間違っていない。しかし人々が時間に対して過度な合理性を求めると、今度は合理的に時間を使うことが目的化されてしまう。つまり、なんのために時間を切り詰…