リロノウネリ

心理学徒によるサブカルチャーから哲学まで全てにおいて読み違える試み

アニメ

SAO総論-第一章「科学技術による父の復権」

三度目の正直!SAO論を打ち立てろ! リロノウネリではこれまでに二度、アニメ「ソードアートオンライン(以下SAO)」について語ってきた。一度目はアルヴヘイム・オンライン(以下ALO)における須郷=オベイロンとの戦いについて。二度目はガンゲイル・オン…

告白ハラスメントとは何か

告白ハラスメントの「発明」 告白ハラスメントというものが新たに「発明」されたらしい。告ハラが果たしてハラスメントと言えるのかということについてここで考えるつもりはない。それを言い出したら感動ポルノだってポルノではない。ニュアンスはなんとなく…

男の娘と新たな決断主義-アニメ「ナイツ&マジック」から

ナイツ&マジックのテンポの良さ 今期注目のアニメのひとつ「ナイツ&マジック」を見ている。岡田斗司夫が第一話のテンポの良さを面白がっていたので興味が沸いたからだ。一話を見てみるとAパート12分の内に天才プログラマーだった主人公が交通事故に遭い、異…

可能世界の倫理を考える-「リゼロ」と「時かけ」から

可能世界とは何か 最近、可能世界の自分について考えることが増えた。これは私の年齢によるものなのかもしれない。就職がリアルになることで、未来の自分の想像ができるようになる。それを逆に言えば、ありえたかもしれない自分との別れでもある。 現在の可…

連続再生の精神分析

連続再生の時代 海外ドラマやテレビドラマ、クールもののアニメなど、夜を徹して見続けるという趣味を持つ人は今や決して少なくない。海外の人気ドラマではいくつもシーズンが続くことが多いし、日本のドラマやアニメでも、1クールには9~13話くらいはあ…

アニメ「デュラララ!!」を見て‐セルティの批評性

セルティという批評的なキャラクター セルティ・ストゥルルソンというキャラクターは非常に批評的だと私は考える。 彼女には首から上がない。デュラハンだからである。彼女は岸谷新羅と同居している。彼はセルティに首がないのにもかかわらず愛している。そ…

『夜は短し歩けよ乙女』映画批評「恋愛と森見登美彦」

映画『夜は短し歩けよ乙女』批評 昨日、ついに映画『夜は短し歩けよ乙女』を鑑賞してきた。この映画は、私の中高時代を濃縮還元したものだといえる。 原作は森見登美彦。主題歌『荒野を歩け』はアジカンだし、キャラ原案は中村佑介。主人公「先輩」の声優は…

「けものフレンズ」と東浩紀『ゲンロン0』

「けものフレンズ」と『ゲンロン0』 「けものフレンズ」が世間を沸かせている。東浩紀『ゲンロン0』も世間を沸かせている。私にとっての世間が狭い、という可能性は否定しない。しかし『ゲンロン0』によって「けものフレンズ」を語るということに意味がある…

『SAO』論-東浩紀『AIR』論から

『SAO』論-東浩紀『AIR』論から 今回はアニメ『ソードアートオンライン』について考えてみたい。私が考えたいのは第1期のラストについてだ。時期的にも、読者数的にもネタバレに配慮することはないため、ご容赦願いたい。 さて今回『SAO』論を立てるにあたっ…